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ちはやふる小倉山杯

 『ちはやふる』の大ファンで、古典文学に造詣が深い大人気Twitterユーザーたらればさん(@tarareba722)に、嵯峨嵐山文華館周辺の観光地をご紹介いただきます。ちはやふる小倉山杯観戦のついでに、ぜひふらりと足を運んでみてはいかがでしょうか?



一.渡月橋

京都府京都市右京区嵯峨中ノ島町
嵯峨嵐山文華館から徒歩5分

Photo:Adobe Stock、ちはやふる基金
ちはやふる小倉山杯

嵯峨嵐山のシンボル
 嵯峨嵐山観光の中心的スポット。夜間はLEDで幻想的にライトアップされます(必見)。
 この渡月橋が架かる桂川は、北部の亀岡市から保津峡近辺では「保津川」、小倉山や嵐山近辺では「大堰(おおい)川」、渡月橋を境にその下流(南側)を「桂川」と呼びます(『土佐日記』には「桂川」、『徒然草』には「大井川(大堰川)」として言及あり)。
 現在の渡月橋は1934年に完成。橋脚部や橋桁部は鉄筋コンクリート製ですが、欄干部は嵯峨嵐山の景観に合わせて木造であり、このため自動車事故や火事、台風被害などでたびたび破損、修理されてきた歴史があります(2018年9月の台風21号被害では東側の欄干が100mにわたり破損しましたが、同年秋には修復されました)。
 渡月橋を嵐山側(南側)へ渡った上流の岸に、手漕ぎ貸ボート(1時間1400円)と遊覧船(乗合大人1名1100円)乗り場があり、亀山天皇が見た、川面から渡月橋を眺める贅沢を味わえます。

川面に浮かぶ舟から見た「渡る月」
 当初、大堰川に橋を架けたのは道昌という法輪寺の僧侶で(西暦9世紀中ごろ)、門前橋であったことから「法輪寺橋」と呼ばれていました。それが鎌倉時代中期、亀山天皇(1249~1305年)が満月の晩にこの川で舟遊びを楽しんだ際、橋の上を月が渡ってゆくように見えたことから、「くまなき月の渡るに似る」と語り、それが「渡月橋」という名の由来だと言われています。
 百人一首の歌碑が多く建つ「亀山公園」(この地名が亀山天皇の追号の由来となった)には、亀山天皇の火葬塚がいまも建っています。
 なお、亀山天皇といえば元寇(文永の役(1274年)、弘安の役(1281年))の際に「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮などへ祈願したといわれており、その功績を讃えて福岡市博多区東公園に銅像が建てられています。