<< ちはやふる小倉山杯 トップへ戻る

ちはやふる小倉山杯

 『ちはやふる』の大ファンで、古典文学に造詣が深い大人気Twitterユーザーたらればさん(@tarareba722)に、嵯峨嵐山文華館周辺の観光地をご紹介いただきます。ちはやふる小倉山杯観戦のついでに、ぜひふらりと足を運んでみてはいかがでしょうか?



嵯峨嵐山とは?

 嵯峨(野)・嵐山は、京都市内にある日本屈指の景勝地を指します。
 古来よりこの地が観光名所として栄えたのは、なんといっても立地のよさ。京都盆地の西北端に位置し、市内中心部から気軽に行ける「自然の地」でした。現代でも京都駅から電車(JR嵯峨野線嵯峨・嵐山駅)で約20分、京都御所からだと徒歩でも約1時間半、直線距離で約7.5km。この好立地により、嵯峨嵐山は(京都中心部に都が移った)平安時代から長く貴族たちの別荘地として愛されてきました。
 春には桜が咲きほこり、秋は紅葉が山を彩り、冬は雪化粧に包まれ、ゆるやかに流れる桂川(大堰川)と、そこに架かる渡月橋など、風光明媚な情景が楽しめます。

 『枕草子』には「野は嵯峨野、さらなり。(「野」といえば嵯峨野、これは言うまでもない/三巻本164段)」と第一に挙げられており、また『源氏物語』に登場する野宮神社や『平家物語』の舞台になった祇王寺や滝口寺、世界遺産に登録されている天龍寺など、多くの名所旧跡が徒歩圏内にあります。
 鎌倉時代初期、藤原定家はこの嵯峨野・嵐山にある小倉山(桂川の北岸)の麓で小倉百人一首を選んだと言われており、当時定家が見た山や川、空の色や風の肌ざわりを味わえます。
 以下、この嵯峨嵐山近辺の観光地をいくつか紹介していきます。



1.渡月橋

京都府京都市右京区嵯峨中ノ島町
嵯峨嵐山文華館から徒歩5分

Photo:Adobe Stock、ちはやふる基金
ちはやふる小倉山杯

 嵯峨嵐山観光の中心的スポット。夜間はLEDで幻想的にライトアップされます(必見)。
 この渡月橋が架かる桂川は、北部の亀山市から保津峡近辺では「保津川」、小倉山や嵐山近辺では「大堰(おおい)川」、渡月橋を境にその下流(南側)を「桂川」と呼びます(『土佐日記』には「桂川」、『徒然草』には「大井川(大堰川)」として言及あり)。
 現在の渡月橋は1934年に完成。橋脚部や橋桁部は鉄筋コンクリート製ですが、欄干部は嵯峨嵐山の景観に合わせて木造であり、このため自動車事故や火事、台風被害などでたびたび破損、修理されてきた歴史があります(2018年9月の台風21号被害では東側の欄干が100mにわたり破損しましたが、同年秋には修復されました)。
 渡月橋を嵐山側(南側)へ渡った上流の岸に、手漕ぎ貸ボート(1時間1400円)と遊覧船(乗合大人1名1100円)乗り場があり、亀山天皇が見た、川面から渡月橋を眺める贅沢を味わえます。

 当初、大堰川に橋を架けたのは道昌という法輪寺の僧侶で(西暦9世紀中ごろ)、門前橋であったことから「法輪寺橋」と呼ばれていました。それが鎌倉時代中期、亀山天皇(1249~1305年)が満月の晩にこの川で舟遊びを楽しんだ際、橋の上を月が渡ってゆくように見えたことから、「くまなき月の渡るに似る」と語り、それが「渡月橋」という名の由来だと言われています。
 百人一首の歌碑が多く建つ「亀山公園」(この地名が亀山天皇の追号の由来となった)には、亀山天皇の火葬塚がいまも建っています。
 なお、亀山天皇といえば元寇(文永の役(1274年)、弘安の役(1281年))の際に「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮などへ祈願したといわれており、その功績を讃えて福岡市博多区東公園に銅像が建てられています。



2.野宮神社(竹林の小径)

京都府京都市右京区嵯峨野宮ノ元町1
嵯峨嵐山文華館から徒歩6分

Photo:Adobe Stock、ちはやふる基金
ちはやふる小倉山杯

 嵯峨嵐山駅から向かうと、近年パワースポットとして海外のガイドブックに多数紹介されている「竹林の小径」(約600m)を通ることとなり、鳥居ともども若いカップルや外国人に大人気の観光、写真撮影スポットとなっています。

 いっぽう『源氏物語』第十帖「賢木」前半部の舞台となったのが、この野宮神社です。クヌギの木の皮を剥がずにそのまま鳥居として使用する「黒い鳥居」が建っており、良縁、子宝、学問のご利益があるとされています。
 『源氏物語』(この野宮神社が出てくる)「賢木」のシーンを少し解説しておきます。
 前帖「葵」で、光源氏(作中23歳近辺)の正妻・葵の上が亡くなり(六条御息所の生霊が憑り殺したわけですが…)、「もしかするとこれで源氏の正妻になれるかもしれない」と期待した六条御息所(作中30歳(諸説あり)近辺)ですが、そのあまりの執心に心が冷めてしまった光源氏は、すっかり御息所への興味を失い、足が遠のきます。それに悲観した御息所は伊勢斎宮となる娘(のちの秋好中宮)とともに京都を離れ、伊勢へ下ることを決意。
 御息所が「自分から離れる」と決意したとたんに未練を感じた光源氏は、潔斎のため御息所母娘が逗留していた野宮神社まで足を運び、最後の逢瀬を重ねるのでした(「黒木の鳥居」や「小柴垣」が作中に登場します)。
 最大の見所は、作中屈指の「別れの舞台」となっているはずの野宮神社が、なぜか現在「縁結び」のスポットとして大人気となっているところです。悪縁を切ることが良縁の始まり、ということなのかもしれません。