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『ちはやふる』の大ファンで、古典文学に造詣が深い大人気Twitterユーザーたらればさん(@tarareba722)に、嵯峨嵐山文華館周辺の観光地をご紹介いただきます。ちはやふる小倉山杯観戦のついでに、ぜひふらりと足を運んでみてはいかがでしょうか?
七.祇王寺
京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
嵯峨嵐山文華館から徒歩25分
ささやかな尼寺が平家物語ゆかりの地に
化野念仏寺から南下して徒歩10分、JR嵯峨嵐山駅から直接向かうと徒歩23分。祇王寺は上述の「大覚寺」の塔頭(たっちゅう/親会社と子会社のような関係)で、2カ寺共通拝観券も販売されています(大覚寺500円、祇王寺300円で共通券は600円)。
祇王寺はもともと法然上人の門弟・良鎮によって創建された「往生院」の境内にありました。時がたち、往生院が荒廃したのちはささやかな尼寺として残り、のちに祇王寺と呼ばれるようになったとのこと。その祇王寺も明治初年には廃寺となりましたが、残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管され、明治中期に再興、現在に至ります。こうした関係から、祇王寺は真言宗大覚寺の寺院であり、大覚寺の塔頭となっているわけです。
春先に見られる一面「苔」に覆われた庭が見所となっています。
世の中も人の心も移り変わる
祇王寺といえば『平家物語』巻第一に登場します。
平氏全盛の頃、祇王・祇女という美しい白拍子の姉妹がいました。祇王は平清盛の寵愛を受け、祇女も有名となり幸せに暮らしていました。あるときそこに仏御前という名の白拍子が現れました。清盛が怪しんで追い払おうとすると、祇王がそれを取りなして清盛の前で歌わせ、その声と拍子の美しさに清盛はすっかり心を奪われたとのこと。寵愛を失った祇王は清盛から館を追い出されることになり、そこで祇王は、「萌えいづるも 枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋に あわではつべき」という歌を障子に書き残して、妹・祇女と母親と3人で尼になり祇王寺へ入りました。
母娘三人で念仏を唱えていると、戸を叩く者がおり、出てみると仏御前が立っており、「祇王の不幸を思うと、世の無常を感じて、自分も館を出てきました」という。このとき仏御前17歳。祇王母娘3人と仏御前とで、仏に念仏を捧げてみな往生の本懐を遂げた…と『平家物語』に書かれています。
『平家物語』は全編とおして平氏の栄光と没落、人の世の移り変わりとその切なさが描かれていますが、その冒頭、巻第一「祇王」に「人の【心】の移り変わり」を描くことで、全体のテーマを象徴させている、といえるでしょう。
境内には祇王、祇女、母の墓と、清盛公の供養塔が建てられています(いずれも鎌倉時代の作)。