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ちはやふる小倉山杯

 『ちはやふる』の大ファンで、古典文学に造詣が深い大人気Twitterユーザーたらればさん(@tarareba722)に、嵯峨嵐山文華館周辺の観光地をご紹介いただきます。ちはやふる小倉山杯観戦のついでに、ぜひふらりと足を運んでみてはいかがでしょうか?



八.清凉寺(嵯峨釈迦堂)

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
嵯峨嵐山文華館から徒歩14分

Photo:Adobe Stock、ちはやふる基金
ちはやふる小倉山杯 嵯峨嵐山文華館周辺 清凉寺(嵯峨釈迦堂)

「嵯峨野の顔」と「源氏発祥」
 嵯峨嵐山文華館からは少し離れているものの、JR嵯峨嵐山駅からは徒歩10分、大覚寺からは徒歩8分と、「観光地を回る途中にふと立ち寄る」のに適しているのが清凉寺。位置的にも嵯峨野のほぼ真ん中といえ、渡月橋から繁華街をまっすぐ北に進むと真正面に清凉寺の仁王門(京都府指定文化財)があることから、この正面門は「嵯峨野の顔」と言われています。
 もともとは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の別荘を由来とする「棲霞寺(せいかんじ)」と、西暦10世紀末に当時の中国(宋)へ渡った僧・奝然(ちょうねん)が持ち帰った「三国伝来の釈迦像」(国宝)を祀るために建立した「五台山清凉寺」と、ふたつの寺院を母体にしたものです。
本堂の拝観料は大人400円ですが、宝物を収蔵展示する霊宝館の共通拝観券は700円。4~5月、10~11月は本尊の開扉があるので狙い目です。
 また境内には豊臣秀吉の息子、秀頼の首塚もあるのでご興味ある方はぜひお立ち寄りを(秀頼が関西の寺社復興に秀吉の莫大な遺産を注ぎ込み(家康の謀略という説あり)、そのこともあって政権基盤が弱体化して大坂夏の陣で破れることになったが、その復興で清凉寺が復興したため、ここに首塚が建てられた。1980年に大阪城三の丸の発掘調査が実施された際に、秀頼のものと思われる頭蓋骨が発見され、その骨がここに祀られている)。

「光源氏の最期」に選んだ舞台
『源氏物語』の主人公・光源氏には何人かモデルとなった人物がいると言われていますが(在原業平や藤原道長など)、その筆頭が、この清凉寺の母体となった別荘の主・源融です。
 小倉百人一首第十四番「みちのくの」の作者である源融(河原左大臣)は、嵯峨帝の皇子でありながら「源氏」の名を賜って臣籍降下し、京都六条に巨大な邸宅「河原院」を建てて住みました(『源氏物語』の「六条院」のモデルと言われている)。
 清凉寺は『源氏物語』の「松風」、「若菜 上」など各所に登場しますが、もっとも重要なのは「宿木」にて「光源氏が妻である紫の上の亡きあと、晩年の2~3年をこの院ですごした」という記述でしょう。
 最愛のヒロインを亡くした主人公・光源氏が、波乱万丈だった自分の人生を振り返る最期のときをこの地ですごしたと、そういう舞台として紫式部が用意したのがこの清凉寺です。